母は父に救われた [精神的なコトなど]
前回投稿した記事の日にちが 7月25日となっていたので
このブログの更新は 4か月半ぶりの更新になります
私の精神的に かなり影響を及ぼした内容になるので
カテゴリーは 『精神的なコトなど』 に分けようと思います
この4か月半の間 私としては記事の更新をしたいなと思っていたところがあるのですが
我が家の中が慌ただしく バタバタしていたため
こんなに期間があいての更新になってしまいました
まずは 更新が滞っていた中でも
一度だけでも このブログに遊びに来てくださったすべての方々に お礼を申し上げます
心の底から どうもありがとうございます
それでは 書いていきたいと思いますが
毎度のように いらぬことも書いてしまうことがあると思うので
その点は 先に謝らせてください
まずは おばあちゃんのことから
お話はいきなりさかのぼりまして 今年の5月
私が平日の昼間に 1階にいたところ
2階から 『ドン!!』 という音がしたので
2階に上がってみると おばあちゃんがベッドから転げ落ちていました
まずは母に連絡を取り 母が父に連絡を取ってくれ
心配になった2人が家に帰ってきてくれる間に
何とか 私1人だけで おばあちゃんをベッドにあげて 寝かせることに成功しました
おばあちゃんは 今年の初めごろまでは 自分の足で歩くことができていたのですが
5月の時点では 寝たきり状態になっていました
おばあちゃんが ベッドから落ちてしまったことが一因だと思うのですが
今の家に引っ越してきてから おばあちゃんがずっと通っていた小さなクリニックの先生に
わざわざ 家まで来て おばあちゃんの状態を診てもらいました
以前から いろいろと書いてきていると思うので
もしかすると わかって読んでいる方がおられるかもしれませんが
私は ものスゴク些細なことでも 精神的に不安定に陥りやすいので
父や母のほうから 何かを話してくれない限りは
なるべく 家のことでも大切なことには 触れずに過ごしてきました
しかし このときは 私もいる部屋の中での 先生の診断結果のお話が始まり
お話の中で 私がとてもショックだったのが
「今の状態で 2階の自室で寝たきりの生活を送っていると 今年の秋は越せないでしょう」
という言葉でした
とても元気で 気の強い性格だった あのおばあちゃんが
認知症になり 徐々に弱っていって 歩けなくなってしまうまでを
我が家でずっと見てきたことと
おばあちゃんに育てられ おばあちゃんが大好きで おばあちゃんっ子だということが
余計にショックを強くしたと思います
それから 本格的に自宅での介護生活をと
先生が紹介してくださった うまく言葉が見つからないのですが
出張介護のような感じでしょうか
ケアマネージャーさん方と 父と母が何度も何度もやり取りをして
7月に入ってから ようやく1階に 介護用のベッドを レンタルという形で入れてもらいました
それから おばあちゃんを1階へと スタッフの方々が下ろしてくださり
9月10日まで そのベッドで過ごしていました
9月の10日
実は私は その日の記憶があいまいなのか 何も思い出せず
どうしてそうなったのかはわかりませんが
おばあちゃんが 病院に入院することになりました
病院での診断結果は 軽い熱中症だったと あとから聞いたと思います
自宅での 1階での介護生活が始まってから
食べ物もろくに食べず 水分もろくにとらないでいたようなので
それが原因ではないかと思います
その時期 私は おばあちゃんはもう長くはいられないんだろうなと 感じていたんだと思います
そして 頭の中で 『秋は越せないでしょう』 という言葉が ずっと駆け巡っていました
おばあちゃんが入院をしている間
父と母は おばあちゃんの入所できる 介護施設を探していました
それからどのくらいの日数が経過してからかはわかりませんが
現在 おばあちゃんは 無事に介護施設に入ることができ
家にいて 何も食べず 元気がだんだんなくなっていくのがわかっていたときとは打って変わって
介護施設で とても元気に過ごしています
おばあちゃんが 介護施設に入って しばらくしたころに
父から おばあちゃんがものスゴク元気になったという話を聞いて
そこでようやく 私もおばあちゃんに会いに行くことができたのですが
家にいたころは 会話どころか 声を聴くことすら稀になっていたのに
元気すぎるほどに マシンガントーク
もちろん 話す内容はメチャクチャで 意味不明で
昔住んでいた家のことや 昔の家の近所に住んでいた人たちのことだらけで
もともと とても口が悪く 人の悪口や 愚痴ばかり言う人だったので
そのような内容だらけです
認知症が進んでいるため ほぼ誰が 誰なのかがわからなくなっているのですが
私と 妹は おばあちゃんに大事に育てられたためか
私と妹が顔を出すと 名前を読んで喜んでくれています
とりあえず 今のところは 見違えるほどに元気で
食事の時間に会いに行った際には すべてをキレイに食べていたので ホッとしました
父は もっと早くこうしてあげれば良かったかなと言っていますが
今が元気なので これで良かったのではないかと 私は思っています
で
おばあちゃんの変化と並行してになるのですが
一番の問題となってしまったのは 母のほうでした
おばあちゃんのお話で書いた 9月10日
その2日後の 9月12日に
平日の昼間 家の中におばあちゃんがいなくなってしまったことで
おそらく 私の中に不安な気持ちが出てきたのだと思いますが
精神的な不調で 母にお願いをして 通院している精神科へ連れていってもらいました
その日の夜か 次の日の13日のことだったのか
今考えてみると 母の様子がオカシイということがありました
家の中で バランスを崩して 転んだことがあったのですが
私はそのとき 何かで滑ったのかな? くらいにしか思いませんでした
また少しさかのぼりますが かなり前のことで詳しい時期は憶えていませんが
昨年? 一昨年? くらいの頃に
母が 右側の耳が聴こえずらく セミが鳴いているような感じがすると 話したことがあったので
私も父も 病院に行くことを勧めていました
根負けしたのか 耳鼻科医院に行ってはくれたものの
今思うと この耳鼻科医院の対応が腹立たしく思います
帰ってきた母は
「原因がわからないって」
と言っていたと思います
何処の耳鼻科医院に行ったのかは 私は知らないのですが
右側の耳が聴こえずらいと言っているのですよ???
セミが鳴いている感じがすると言っているのですよ???
どうして 自分たちの病院で原因がつかめなかったら
大きな病院で精密検査を受けることを 強く勧めてくれなかったのか???
私が精神的な不調を訴えて 病院へと連れていってもらった日の夜か 次の日の夜のこと
父が 母のろれつが回っていないことに気付き
「お前 もしかしたら 脳からきてるんじゃないやろうな!!」
と疑いを持ちました
まさに このとき父が疑いを持ってくれたことが
母を救うことにつながりました
私には オカシイと感じるとことがあっても 気が付くことができなかった
些細なことだったのかもしれませんが 父は母をよく見ていました
9月14日
父は母を連れて 大きな病院へ 脳の検査を受けてもらいに行きました
私は 病院の機械のことがよくわからないのですが
MRIなどで検査をしたそうです
結果は 脳に腫瘍ができているとのこと
それも 大きさは3cmをこえるモノが
場所は 母が異常を訴えていた 右耳の裏のほうに
スグに手術をしなければいけないとなり
ものスゴク腕の良い先生が手術をされているという さらに大きな病院を紹介されました
しかし ものスゴク腕の良い先生ということで
手術の予約が1か月以上先になるとのこと
その前に もう一度 その病院で検査を受けて 撮影された画像を見たとき
先生は かなりマズイと思われた と父から聞きました
そこで 今すぐには無理だけど 手術する日を早める調整をしますとのことで
決まったのが とりあえず 手術前の検査をすることも含めて 10月21日に入院
手術は その1週間後の 10月28日に
家族でも不安な日々だったので 母本人は怖い日々を送っていたことでしょう
手術の日
妹が たまたまお仕事をお休みする日をもらっていたということで病院に来てくれ
母の妹にあたるおばさんも来てくれました
もちろん 父も行ったのですが
父は 私の体調を心配してくれて 私は家で待っていました
父の話では 午前8時ごろに麻酔を点滴で打って
午前9時ごろに 手術室に入っていったそう
先生のお話では
「朝から手術をはじめまして 終わるのは夕方を過ぎるでしょう」
ということだったみたいです
父と LINEでやり取りをしていく中で
確か 手術が終わったと連絡がきたのは 午後7時を過ぎてからだったと思います
手術が終わってからの 先生の説明では
手術は無事に成功し 腫瘍は98%取り除くことができましたとのこと
腫瘍は 悪性ではないということは 検査をした段階で聞いていたので
連絡がきたときには 私も安心しました
ただ 手術後で 無事に成功したから 話してくださったことだと思うのですが
「場所が場所なだけに 非常に難しい手術で
他の方には任せられなので 私が執刀しました」
ということと
「場所が場所と言いましたが できれば手術をしたくはない場所にあたりますね」
と言われたそうです
私は 次の日に 父に病院まで連れていってもらったのですが
話はできますが 横たわっている母を見たときは とてもショックでした
そのときは 私にもわかるくらいに ろれつが回っていませんでした
手術後は 1週間ほどだったと思いますが
看護師さん方がおられる部屋のすぐ後ろの部屋で見てくださっていました
一般病棟に戻ってからは ベッドの上でなら 少しくらいはモゾモゾと動いたり 話せましたが
やはり右側の腕と 脚に 少ししびれや 震えが見られるものの
リハビリの先生からは リハビリを続けていけば 徐々になくなっていきますとのことでした
やはり 一番ひどかったのが顔です
私も ものスゴク前なので 10年前くらいになるのでしょうか
顔面神経麻痺になったことがあったのですが
母の顔の症状は まさにその状態でした
こちらも リハビリの先生からは
「顔のマッサージを 暇があったらできるだけ多くやっていけば
半年くらいかかるかもしれませんが 治りますよ」
と言ってくださりました
まぁ もっと細かく書けば いくらでも書くことが出てきそうな感じがするのですが
この数か月 特に9月以降ですね
バタバタしていて 記事の更新ができませんでした
その母も 何とか昨日 12月9日に無事に退院することができまして
母が入院している間 母が退院をしたら ブログの記事を更新しようと ずっと思っていました
まだマヒが残っているものの マッサージのおかげから
初めの頃よりはだいぶん良くなってきています
私は何もできない人間なので 一番辛く 一番シンドかったのは 父です
毎晩ではないにしても お仕事から帰ってきてから
30分ほどかけて 病院までお見舞いに行き (私が行けなかった日も1人で行っていました)
家事もこなし (私は何をどうすれば良いのかわからないので 洗濯物を干すことしか手伝えず・・・)
カワイイ甥っ子くんの弟くんの発表会があったら
「じいちゃん 見に来てね」
と呼ばれていたので行き
父自身 10数年もの間 毎週点滴に行っているので そちらにも行かなければならず
今思えば 今まで生きてきた中で 家の中で1か月半もの長い間を
父と 私と おじいちゃんの愛ネコちゃんの男衆だけで過ごしたことは 初めての経験でした
もう二度としたくはない経験です
いつもだったら 誤字脱字がないか オカシな文章はないか を読み返してから投稿するのですが
できれば思い返したくはない内容なので このまま投稿します
誤字脱字や 読みにくいところがあったら ゴメンナサイです
あぁ 最後に
もし自分自身や ご家族が 身体の異常を訴えた際
小さな病院でも 原因がわかればお話は別ですが
原因不明と言われたら 大きな病院で検査を受けてください
それでもわからない場合は いくつかの大きな病院で検査を受けてください
最後の最後に 父が先生から言われたらしい 怖いことを書きます
もしも 父が気付かず 気付いたとしても疑いを持たずに 母がそのまま放置して過ごしていたのなら
朝 起きてこないで 冷たくなっていたかもしれません
私は 『愛』 という言葉は大嫌いなのですが 『これが父の愛』 だったのでしょうね
このブログの更新は 4か月半ぶりの更新になります
私の精神的に かなり影響を及ぼした内容になるので
カテゴリーは 『精神的なコトなど』 に分けようと思います
この4か月半の間 私としては記事の更新をしたいなと思っていたところがあるのですが
我が家の中が慌ただしく バタバタしていたため
こんなに期間があいての更新になってしまいました
まずは 更新が滞っていた中でも
一度だけでも このブログに遊びに来てくださったすべての方々に お礼を申し上げます
心の底から どうもありがとうございます
それでは 書いていきたいと思いますが
毎度のように いらぬことも書いてしまうことがあると思うので
その点は 先に謝らせてください
まずは おばあちゃんのことから
お話はいきなりさかのぼりまして 今年の5月
私が平日の昼間に 1階にいたところ
2階から 『ドン!!』 という音がしたので
2階に上がってみると おばあちゃんがベッドから転げ落ちていました
まずは母に連絡を取り 母が父に連絡を取ってくれ
心配になった2人が家に帰ってきてくれる間に
何とか 私1人だけで おばあちゃんをベッドにあげて 寝かせることに成功しました
おばあちゃんは 今年の初めごろまでは 自分の足で歩くことができていたのですが
5月の時点では 寝たきり状態になっていました
おばあちゃんが ベッドから落ちてしまったことが一因だと思うのですが
今の家に引っ越してきてから おばあちゃんがずっと通っていた小さなクリニックの先生に
わざわざ 家まで来て おばあちゃんの状態を診てもらいました
以前から いろいろと書いてきていると思うので
もしかすると わかって読んでいる方がおられるかもしれませんが
私は ものスゴク些細なことでも 精神的に不安定に陥りやすいので
父や母のほうから 何かを話してくれない限りは
なるべく 家のことでも大切なことには 触れずに過ごしてきました
しかし このときは 私もいる部屋の中での 先生の診断結果のお話が始まり
お話の中で 私がとてもショックだったのが
「今の状態で 2階の自室で寝たきりの生活を送っていると 今年の秋は越せないでしょう」
という言葉でした
とても元気で 気の強い性格だった あのおばあちゃんが
認知症になり 徐々に弱っていって 歩けなくなってしまうまでを
我が家でずっと見てきたことと
おばあちゃんに育てられ おばあちゃんが大好きで おばあちゃんっ子だということが
余計にショックを強くしたと思います
それから 本格的に自宅での介護生活をと
先生が紹介してくださった うまく言葉が見つからないのですが
出張介護のような感じでしょうか
ケアマネージャーさん方と 父と母が何度も何度もやり取りをして
7月に入ってから ようやく1階に 介護用のベッドを レンタルという形で入れてもらいました
それから おばあちゃんを1階へと スタッフの方々が下ろしてくださり
9月10日まで そのベッドで過ごしていました
9月の10日
実は私は その日の記憶があいまいなのか 何も思い出せず
どうしてそうなったのかはわかりませんが
おばあちゃんが 病院に入院することになりました
病院での診断結果は 軽い熱中症だったと あとから聞いたと思います
自宅での 1階での介護生活が始まってから
食べ物もろくに食べず 水分もろくにとらないでいたようなので
それが原因ではないかと思います
その時期 私は おばあちゃんはもう長くはいられないんだろうなと 感じていたんだと思います
そして 頭の中で 『秋は越せないでしょう』 という言葉が ずっと駆け巡っていました
おばあちゃんが入院をしている間
父と母は おばあちゃんの入所できる 介護施設を探していました
それからどのくらいの日数が経過してからかはわかりませんが
現在 おばあちゃんは 無事に介護施設に入ることができ
家にいて 何も食べず 元気がだんだんなくなっていくのがわかっていたときとは打って変わって
介護施設で とても元気に過ごしています
おばあちゃんが 介護施設に入って しばらくしたころに
父から おばあちゃんがものスゴク元気になったという話を聞いて
そこでようやく 私もおばあちゃんに会いに行くことができたのですが
家にいたころは 会話どころか 声を聴くことすら稀になっていたのに
元気すぎるほどに マシンガントーク
もちろん 話す内容はメチャクチャで 意味不明で
昔住んでいた家のことや 昔の家の近所に住んでいた人たちのことだらけで
もともと とても口が悪く 人の悪口や 愚痴ばかり言う人だったので
そのような内容だらけです
認知症が進んでいるため ほぼ誰が 誰なのかがわからなくなっているのですが
私と 妹は おばあちゃんに大事に育てられたためか
私と妹が顔を出すと 名前を読んで喜んでくれています
とりあえず 今のところは 見違えるほどに元気で
食事の時間に会いに行った際には すべてをキレイに食べていたので ホッとしました
父は もっと早くこうしてあげれば良かったかなと言っていますが
今が元気なので これで良かったのではないかと 私は思っています
で
おばあちゃんの変化と並行してになるのですが
一番の問題となってしまったのは 母のほうでした
おばあちゃんのお話で書いた 9月10日
その2日後の 9月12日に
平日の昼間 家の中におばあちゃんがいなくなってしまったことで
おそらく 私の中に不安な気持ちが出てきたのだと思いますが
精神的な不調で 母にお願いをして 通院している精神科へ連れていってもらいました
その日の夜か 次の日の13日のことだったのか
今考えてみると 母の様子がオカシイということがありました
家の中で バランスを崩して 転んだことがあったのですが
私はそのとき 何かで滑ったのかな? くらいにしか思いませんでした
また少しさかのぼりますが かなり前のことで詳しい時期は憶えていませんが
昨年? 一昨年? くらいの頃に
母が 右側の耳が聴こえずらく セミが鳴いているような感じがすると 話したことがあったので
私も父も 病院に行くことを勧めていました
根負けしたのか 耳鼻科医院に行ってはくれたものの
今思うと この耳鼻科医院の対応が腹立たしく思います
帰ってきた母は
「原因がわからないって」
と言っていたと思います
何処の耳鼻科医院に行ったのかは 私は知らないのですが
右側の耳が聴こえずらいと言っているのですよ???
セミが鳴いている感じがすると言っているのですよ???
どうして 自分たちの病院で原因がつかめなかったら
大きな病院で精密検査を受けることを 強く勧めてくれなかったのか???
私が精神的な不調を訴えて 病院へと連れていってもらった日の夜か 次の日の夜のこと
父が 母のろれつが回っていないことに気付き
「お前 もしかしたら 脳からきてるんじゃないやろうな!!」
と疑いを持ちました
まさに このとき父が疑いを持ってくれたことが
母を救うことにつながりました
私には オカシイと感じるとことがあっても 気が付くことができなかった
些細なことだったのかもしれませんが 父は母をよく見ていました
9月14日
父は母を連れて 大きな病院へ 脳の検査を受けてもらいに行きました
私は 病院の機械のことがよくわからないのですが
MRIなどで検査をしたそうです
結果は 脳に腫瘍ができているとのこと
それも 大きさは3cmをこえるモノが
場所は 母が異常を訴えていた 右耳の裏のほうに
スグに手術をしなければいけないとなり
ものスゴク腕の良い先生が手術をされているという さらに大きな病院を紹介されました
しかし ものスゴク腕の良い先生ということで
手術の予約が1か月以上先になるとのこと
その前に もう一度 その病院で検査を受けて 撮影された画像を見たとき
先生は かなりマズイと思われた と父から聞きました
そこで 今すぐには無理だけど 手術する日を早める調整をしますとのことで
決まったのが とりあえず 手術前の検査をすることも含めて 10月21日に入院
手術は その1週間後の 10月28日に
家族でも不安な日々だったので 母本人は怖い日々を送っていたことでしょう
手術の日
妹が たまたまお仕事をお休みする日をもらっていたということで病院に来てくれ
母の妹にあたるおばさんも来てくれました
もちろん 父も行ったのですが
父は 私の体調を心配してくれて 私は家で待っていました
父の話では 午前8時ごろに麻酔を点滴で打って
午前9時ごろに 手術室に入っていったそう
先生のお話では
「朝から手術をはじめまして 終わるのは夕方を過ぎるでしょう」
ということだったみたいです
父と LINEでやり取りをしていく中で
確か 手術が終わったと連絡がきたのは 午後7時を過ぎてからだったと思います
手術が終わってからの 先生の説明では
手術は無事に成功し 腫瘍は98%取り除くことができましたとのこと
腫瘍は 悪性ではないということは 検査をした段階で聞いていたので
連絡がきたときには 私も安心しました
ただ 手術後で 無事に成功したから 話してくださったことだと思うのですが
「場所が場所なだけに 非常に難しい手術で
他の方には任せられなので 私が執刀しました」
ということと
「場所が場所と言いましたが できれば手術をしたくはない場所にあたりますね」
と言われたそうです
私は 次の日に 父に病院まで連れていってもらったのですが
話はできますが 横たわっている母を見たときは とてもショックでした
そのときは 私にもわかるくらいに ろれつが回っていませんでした
手術後は 1週間ほどだったと思いますが
看護師さん方がおられる部屋のすぐ後ろの部屋で見てくださっていました
一般病棟に戻ってからは ベッドの上でなら 少しくらいはモゾモゾと動いたり 話せましたが
やはり右側の腕と 脚に 少ししびれや 震えが見られるものの
リハビリの先生からは リハビリを続けていけば 徐々になくなっていきますとのことでした
やはり 一番ひどかったのが顔です
私も ものスゴク前なので 10年前くらいになるのでしょうか
顔面神経麻痺になったことがあったのですが
母の顔の症状は まさにその状態でした
こちらも リハビリの先生からは
「顔のマッサージを 暇があったらできるだけ多くやっていけば
半年くらいかかるかもしれませんが 治りますよ」
と言ってくださりました
まぁ もっと細かく書けば いくらでも書くことが出てきそうな感じがするのですが
この数か月 特に9月以降ですね
バタバタしていて 記事の更新ができませんでした
その母も 何とか昨日 12月9日に無事に退院することができまして
母が入院している間 母が退院をしたら ブログの記事を更新しようと ずっと思っていました
まだマヒが残っているものの マッサージのおかげから
初めの頃よりはだいぶん良くなってきています
私は何もできない人間なので 一番辛く 一番シンドかったのは 父です
毎晩ではないにしても お仕事から帰ってきてから
30分ほどかけて 病院までお見舞いに行き (私が行けなかった日も1人で行っていました)
家事もこなし (私は何をどうすれば良いのかわからないので 洗濯物を干すことしか手伝えず・・・)
カワイイ甥っ子くんの弟くんの発表会があったら
「じいちゃん 見に来てね」
と呼ばれていたので行き
父自身 10数年もの間 毎週点滴に行っているので そちらにも行かなければならず
今思えば 今まで生きてきた中で 家の中で1か月半もの長い間を
父と 私と おじいちゃんの愛ネコちゃんの男衆だけで過ごしたことは 初めての経験でした
もう二度としたくはない経験です
いつもだったら 誤字脱字がないか オカシな文章はないか を読み返してから投稿するのですが
できれば思い返したくはない内容なので このまま投稿します
誤字脱字や 読みにくいところがあったら ゴメンナサイです
あぁ 最後に
もし自分自身や ご家族が 身体の異常を訴えた際
小さな病院でも 原因がわかればお話は別ですが
原因不明と言われたら 大きな病院で検査を受けてください
それでもわからない場合は いくつかの大きな病院で検査を受けてください
最後の最後に 父が先生から言われたらしい 怖いことを書きます
もしも 父が気付かず 気付いたとしても疑いを持たずに 母がそのまま放置して過ごしていたのなら
朝 起きてこないで 冷たくなっていたかもしれません
私は 『愛』 という言葉は大嫌いなのですが 『これが父の愛』 だったのでしょうね